東京の新宿から小田急ロマンスカーに乗ると、約1時間で小田原に着きます。小田原駅近くでレンタカーを借りて、国道1号線で箱根の山を登りました。土木遺産の函嶺洞門など、箱根駅伝でなじみ深い地名が次々と出てきます。元箱根を通り、箱根峠から1号線で三島市を目指して山を下ります。ほどなく山中城址へくるのでこの辺で、ナビに妙法華寺を入れます。山裾のやや複雑な田舎道を案内されて、30分くらいで静岡県三島市玉沢の妙法華寺境内に着きました。JR三島駅からは、1時間に1本くらいの妙法華寺行きの定期バスが出ているそうです。

(玉澤妙法華寺)

(寺の由緒書き)
掛川太田氏の菩提寺
この寺は、日蓮宗の経王山妙法華寺と称し、1284年(弘安7年)に日蓮大聖人の六老僧の一人日昭が鎌倉の海浜玉澤(現材木町)に建立しました。鎌倉の戦乱を避けるため越後村田(長岡市)、伊豆加殿(伊豆市)を経て、1621年(元和7年)に大木沢(現在地)に移転、広大なその地を玉澤と改称しました。

(玉澤道場)

(日蓮大聖人像と開目抄の碑)
この寺の由緒書きに次のように記されています。
「寛永二年九月徳川二代将軍秀忠公より約五十万坪の寺域を御朱印地として寄進され、家康公の側室にして紀州大納言頼宣、水戸中納言頼房両公の生母、光圀公の祖母、養珠院お萬の方並びに英勝院お勝の方、及び太田道灌家の五代道顯公等の絶大な資援により大伽藍玉澤道場が竣工したのである。(抜粋)」
玉澤道場からすこし離れた玉澤霊園の奥に、掛川太田家霊廟があり、掛川藩の初代藩主太田資俊(すけとし)、二代藩主資愛(すけよし)、三代藩主資順(すけのぶ)、四代藩主資言(すけとき)、五代藩主資始(すけもと)、六代藩主資功(すけかつ)、七代藩主資美(すけよし)等の墓があります。
妙法華寺の由緒書きに記された「太田道灌公五代の道顯公」とは、英勝院お勝の方の兄太田重正のことであると思われます。重正の墓もまた妙法華寺にあります。
安定する掛川藩
太田道灌五代の子孫太田重正は徳川家康から召し出され、妹のお勝(英勝院)は家康の側室となり、息子の資宗は徳川家に仕え、その子孫資俊は1746年(延享3年)に掛川城主となり掛川藩五万石の祖となりました。掛川藩は、太田家代々の藩主の努力により藩政が安定し、幕閣へ老中、大阪城代、京都所司代などの人材を輩出しました。
(掛川城)
三島市より東海道線で西へ移動すると静岡県掛川市へ至り、駅近くに掛川城址があり、掛川太田氏の多くの史料と史跡を見学できます。