2020年11月03日

太田道灌有縁・三つの八幡宮

東京都江東区の富賀岡八幡宮と富岡八幡宮、神奈川県伊勢原市の西富岡八幡宮に共通する伝承は、太田道灌が崇敬したと伝えられる八幡像に由来します。

1.富賀岡八幡宮
地下鉄東西線の南砂町駅東口より徒歩10分程の所に、富賀岡八幡宮があります。駅周辺にこの八幡の案内板はありませんが、元八幡通りを目指して行けば見つかります。
当宮は深川の富岡八幡宮の元宮として、また、砂村総鎮守として広く知られています。その創建は古く、藤原鎌足の孫、藤原豊成卿が下総守に任じられ下向のみぎり、749年(天平勝宝元年)に創立された区内屈指の古社であります。
富賀岡八幡宮.JPG 
(富賀岡八幡宮)
ご由緒によると、当宮に奉祭されていた「八幡像」は、源三位頼政、千葉氏、足利尊氏、鎌倉公方基氏、管領上杉氏から太田道灌へと伝えられ、特に道灌より厚い崇敬を受けていたものであります。
由緒書き.JPG
(ご由緒に太田道灌のこと)
広重の『江戸名所百景』を見ると、かつて当宮は海の近くにあり、桜並木の参詣道をもっていましたが、今はその面影もありません。
富賀岡八幡宮=東京都江東区南砂7-14-18

2.富岡八幡宮
地下鉄東西線の門前仲町駅を出ると、目の前に富岡八幡と深川不動の門前町が一気に広がり、江戸の下町の雰囲気に包まれます。
富岡八幡.JPG
(富岡八幡宮)
富岡八幡宮は、深川八幡宮とも称され、天平宝字年間(757〜765)の創建と伝えられます。『江戸名所図会』には富岡八幡の八幡像について「源三位頼政が尊崇した神像を千葉・足利両氏が伝え、のち太田道灌の守護神になる」とあります。現在当宮の境内に、そのことが書かれた由緒書きが見つかりません。
当宮は1627年(寛永4)に永代島に再建、江戸下町の繁盛につれて特に深川木場の尊崇を集めました。8月15日が例祭で、神田祭、山王祭とともに江戸三大祭りの一つです。
鳥居をくぐると左右に、かつてこのあたりに住んでいた伊能忠敬の銅像と大関力士碑があります。
I伊能忠敬像.JPG
(伊能忠敬の銅像)
IMG_0622.JPG
(大関力士碑)
富岡八幡宮=東京都江東区富岡1-20-3

3.西富岡八幡宮 
小田急線の伊勢原駅より、県道63号線を北へ車で10分も走ると、分かれ道の手前の西富岡八幡神社にきます。
富岡八幡宮.JPG 
  (西富岡八幡神社)
IMG_0572.JPG 
   (由緒書きの碑)
 この八幡神社の創立は詳(つまびらか)ではないものの、由緒には「当地草創に当り氏子庶民の天神を奉斎したに始まると言う。即ち当社の例祭に当り神事草分け祭りを奉行し、祖先の此の地を開いた功に報い生存の喜びを祝ったものである。
文明年間(1469〜87年)に関東管領上杉定正の臣大田道灌が下総国葛飾郡の富岡八幡宮を此の地に遷座し、厚く尊信し、これより富岡村と呼び、元亀年間(1570〜73年)に西富岡村と呼ぶとも伝える。」とあります。
 東京の江東区と伊勢原が、「富岡」という地名でつながっていることに、不思議な因縁を感じます。
西富岡八幡神社=神奈川県伊勢原市西富岡890
posted by 道灌紀行 at 14:16| Comment(0) | 太田道灌有縁・三つの八幡宮