2018年06月01日

道灌愛用の「古天明霰釜」

さいたま市の大宮で東武野田線に乗り換えて、岩槻の一つ手前の七里(ななさと)で下車します。線路沿いに大和田方面へ10分も歩くと、曹洞宗の鷲嶽山大園寺(だいえんじ)という古刹にきます。駅から近いものの入り口がわかりにくいので、住民に訊かなければなりません。
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(大円寺)
大円寺の縁起によると、1525年(大永5年)、岩槻城主太田持資の曽孫太田資正の奥室、陽光院殿が開基となり、栄春禅師が開山となり、武蔵野の風渡野(ふっとの)台地に大円寺が建立されました。
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(大円寺法因縁起)
今年、5月24日、開基450回忌の法恩授戒會が行われ、これに因み3日間のみ特別に、太田道灌愛用の「古天明霰釜」が公開されました。私は、絶好のチャンスと思い、早速出かけて説明を聞き、写真を撮らせていただきました。
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(ガラスケースに入った道灌愛用の古天明霰釜)
2018-05-25 古天明霰釜.jpg
(同上、霰無地の茶釜)
寺の山門脇にあるさいたま市教育委員会の説明板にいう。
「さいたま市指定文化財工芸品
大円寺古天明霰釜(だいえんじこてんみょうあられがま)
大円寺は室町時代の創建で、その頃このあたりは岩槻太田氏の領地に組み入れられていました。太田氏と大円寺とのかかわりは深く、この窯は太田道灌が茶の湯に愛用していたと伝えられ、後に大円寺に寄贈されたものです。寄贈者は陽光院殿で、同寺に参詣するときは、この釜で茶をたて、道灌の位牌に供えたと言われています。
天明は現在の栃木県佐野市あたりの地名で、古天明は室町時代後期までにつくられたものの総称です。西の芦屋、東の天明と言われ、茶の湯釜の双璧と称されました。
大円寺釜は古天明としてはめずらしく霰文(あられもん)ですが、他に文様を入れない霰無地で、その気品ある形とともに、古天明の味わいを持つ貴重な釜と言えます」。
太田道灌愛用の茶釜は、資家、資頼、資正と伝えられ、資正の奥室陽光院が所持していたものと思われます。
posted by otadoukan at 10:45| Comment(0) | 道灌愛用の「古天明霰釜」
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