両上杉家の緊張は高まりついに1488年(長享2年、)戦端が開かれました。(長享の乱) 定正は道灌の軍師であった斎藤加賀守安元を重用して実蒔原(伊勢原市)の戦い、菅谷原(嵐山町)の戦い、高見原(寄居町)の戦いで優位を保ち続けました。
1494年(明応3年)10月、定正は北条早雲の援軍を得て意気揚々と4度目の高見原の戦に出陣し、山内上杉顕定と対戦しました。定正は、荒川を渡河しようとして落馬し、濁流に流されて死去しました。道灌没後8年、時に定正は49歳あるいは52歳ともいわれています。
(荒川の川越岩)
小田急線の伊勢原駅から七沢方面へ車を15分も走らせて伊勢原市と厚木市の境目のあたりに来ると、実蒔原古戦場があり、大山がよい具合に見えます。厚木よりの民家の近くに古戦場碑と伊勢原市教育委員会の説明板があります。そこから県道64号線を車で5分も走ると、小高い所に上杉定正の居城であった七沢城址があります。城址の高台全体に今、七沢リハビリ病院が建っていて構内に七沢城址の碑があります。
城址を降りて、また坂道を少し登ると、臨済宗の吉祥山徳雲寺があり、隣接する墓地に上杉定正夫妻の五輪塔があります。
(七沢城址)
(上杉定正の墓)
実蒔原古戦場=神奈川県厚木市七沢
高見原古戦場(推定)=埼玉県寄居町今市
菅谷原古戦場=埼玉県嵐山町大字菅谷
七沢城址=神奈川県厚木市七沢
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