2010年09月06日

長野県の太田道灌

(1)佐久の「久遠の像」
長野県に太田道灌が行ったという記録は見えませんが、佐久市に道灌の銅像が1体あります。JR小海線北中込駅から約15分歩くか長野新幹線の佐久平駅から車で10分も走ると、駒場公園内の佐久市立近代美術館に至り、そこに太田道灌の銅像に会えます。実際に銅像が建っているところは、すぐ近くの佐久市立図書館の前庭です。その銅像は、東京都の新宿中央公園にある山本豊一氏制作の「久遠の像」と同じものです。ちょっと見ると配置も背景も違うので気づきませんが、よく見ると確かに道灌と山吹を捧げる少女の像です。
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(久遠の像)
なぜここに「久遠の像」があるのでしょうか。その縁起を理解するためには、佐久市出身の実業家で美術年鑑社社長であった油井一二(ゆいいちじ)氏のことを知らなければなりません。油井氏は1909年(明治42年)に佐久市に生まれ、上京して絵画販売会社の出張販売員になりました。やがてふろしき画商として成功し、昭和40年に美術年鑑社社長となりました。着想の人、行動の人であった油井氏は、業績を飛躍的に拡大するとともに、45年をかけて400点に及ぶ美術作品を収集しました。1975年(昭和50年)、油井氏は全コレクションを郷里の佐久市に寄贈し、コレクションは佐久市立近代美術館(油井一二記念館)に収蔵されました。収蔵品の中には、横山大観、平山郁夫、奥村土牛、平櫛田中などの傑作とともに、山吹の里の彫刻「久遠の像」がありました。油井氏は武者小路実篤に私淑して、自分の人生訓を実篤の次の言葉で語っています。
   この道より 我を生かす道なし
   この道を行く
ちなみに太田道灌の銅像は、東京都に3体、埼玉県に5体、神奈川県に1体、静岡県に1体、長野県に1体、合計11体あります。
久遠の像・佐久市立近代美術館・図書館=長野県佐久市猿久保35‐5 

(2)苅谷原の道灌子孫
佐久市から国道18号線で小諸へ移動し、さらに国道143号線で青木峠を越えると松本市へ来ます。刈谷原トンネル手前のわき道を入ると真言宗の性徳山洞光寺があります。この寺に、道灌の二男、三男と思われる太田資行、中澤資盛の子孫の墓があります。寺の裏の墓域へ行ってみると、太田家と中澤家の墓所が何十も連なり壮観であります。しかし長年月風雨にさらされた碑文は、ほとんど判読できません。住職は、土地の旧家の蔵を開いて文書を調べると、この寺の墓の主である太田家、中澤家の先祖関係がわかるでしょうと語っていました。これが解明されれば、歴史上の大発見になります。
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(太田家、中澤家の墓所)
寺の斜め後ろの山が、資行の子資忠が城主を勤めた刈谷原城の址です。私は、またの来訪調査を期して、洞光寺をあとにしました。
性徳山洞光寺=長野県松本市苅谷原町692
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posted by 道灌紀行 at 08:38| Comment(0) | 長野県の太田道灌
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