西武線の東所沢駅から歩いても来られるところです。
城址の説明板によると、この城は北条氏照の滝山城、八王子城の支城であったということです。
(小振りながら複雑な縄張り)
(本丸跡の碑)
滝の城は、低い崖の上に本丸、二の丸、三の丸があり、土塁と堀が複雑に配されている多廓式平山城です。往時、城中に小さな滝があったので、滝の城と呼ばれるようになりました。
この城の縄張りは、一見して「道灌がかり」を思わせるものです。しかし、城址の説明板には、太田道灌の名前が全く出てこないので、私はずっと不満の思いを抱いていました。
ところで最近私は、東京都の豊島区立郷土資料館の展示の中に、滝の城についてたいへん興味深い記述を見つけたので以下に抜粋を記します。
「長禄元(1457)年に江戸城を築き太田道灌を配した扇谷上杉氏は、現所沢市に残る滝の城を中継点に、本拠である河越城との間に連絡路を作ります。そのうち江戸と滝の城までの道が清戸道(きよとみち)です。文明9(1477)年、道灌は江古田が原合戦を経て、この道を遮断するために豊島氏が築いた石神井・練馬の二城を攻略し、豊島氏は没落します」

(豊島区立郷土資料館に展示された地図)
豊島区立郷土資料館に展示された地図には、江戸城から滝の城まで、川越街道と清戸道がほぼ平行に西へ走っています。そして滝の城からまっすぐ北上すれば川越城へ通じます。
(土塁と堀)
(四脚門跡)
(城址を囲む急峻な崖)
扇谷上杉氏が滝の城を築いたのであれば、家宰であり軍の司令官でもあった太田道灌が縄張りをしたと思われます。そうであればこの城はやはり「道灌がかり」の伝城(つたえじろ)です。かくて私の不満は一気に解消しました。
(滝の城址公園の桜並木)
滝の城下の柳瀬川べりは今、滝の城址公園として運動施設や散歩道が整備され、春には桜やレンギョウが咲き乱れます。
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