2020年01月07日

狭山の天女稲荷・道灌有縁

私が住んでいる東大和市の尾ア市長は、郷土史による町おこしに熱心です。先日市長に会い、郷土史の情報を提供した際、市長は自らのスマホの画面を開いて、地元の多摩湖近くにある道灌有縁の天女稲荷を教えてくれました。
西武新宿線あるいは西武池袋線で西へ向かい、所沢で乗り換えると西武球場にきます。西武球場の正面に、西武球団が必勝祈願をする狭山山不動寺があり、その入り口に例の「太田道灌御神木」があります。
不動寺に向かって左折してちょっと坂を登ると山口観音があります。ここは狭山33所の一番です。山口観音の境内は広く、あちこちに拝むところがたくさんあり、弘法大師の銅像や新田義貞公の霊馬もあり迷います。
新田義貞公霊馬.jpg
(新田義貞公の霊馬)
『狭山の栞』という地元の地誌の山口村の項に言う、「往古太田左衛門佐道灌、文明十八年、讒者のために相州粕谷の舘に亡ぼされ、家臣日暮里玄蕃(にっぽりげんば)当地に移住せしが、後豊島郡に移り彼の地を日暮の里(ひぐらしのさと)と云いこの地を日暮里(にっぽり)と言いしを何時のころよりから新堀(にっぽり)といい傳ふ」。
境内左方の中腹に天女稲荷という小社があります。「狭山の栞」の山口観音の項にいう、「天女稲荷は日暮里玄蕃の勧請にして当山の鎮守とす。元は太田道灌所持の霊像なりといふ」。
天女稲荷の小社.JPG
(天女稲荷の小社)
天女稲荷説明板.JPG
(天女稲荷の説明板)
天女稲荷の説明板にいう、「太田道灌の家臣により奉納され、五穀豊穣・万民豊楽を祈念す。農業・衣料・水に関わる商人に霊験あらたか」。御開扉していないので、残念ながら天女稲荷を拝見するとてはできません。
首都圏に太田道灌有縁の稲荷社はたくさんあります。もっとも有名なのは、千代田区の太田姫稲荷神社です。道灌は娘の病気平癒のため京都山城の国の一口(いもあらい)稲荷に代人を送って祈願し、病気平癒後に稲荷を江戸城の鬼門(東北)に勧請しました。日暮里玄蕃はおそらくこの稲荷を勧請したのでしょう。なぜなら「姫」と「天女」はイメージが通じます。
山口観音に天女稲荷を勧請した、道灌の家臣日暮里玄蕃という人物については、今後の研究課題です。
「狭山の栞」は1939年(昭和14年)杉本林志により刊行された地誌です。
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posted by 道灌紀行 at 20:47| Comment(0) | 狭山の天女稲荷・道灌有縁
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