1477年(文明9年)4月、太田道灌が豊島氏を攻めるため愛宕山(早稲田高等学院の敷地)に陣を敷きました。伝承によれば、戦勝後に道灌は、城攻めに協力した地元の農民に対して、ご祝儀として土地を与えたので、その土地は祝儀山と呼ばれるようになりました。祝儀山は愛宕山から約500メートルのところにあります。
(祝儀山ちびっこ広場の看板)
祝儀山に隣接するところに居住する高橋氏は、この辺に多い尾崎家、田中家などの旧家とともにご祝儀をもらった家の子孫なので、昔は「祝儀山」という屋号でよばれていました。高橋家には系図などないけれども、祝儀山のことは先祖からの伝承として伝わっているそうです。今では高橋さんを屋号で呼ぶ人もいなくなり、祝儀山のいわれを知る人もだんだんすくなくなってきたそうです。また祝儀山を下ったところには、「グレードハイツ祝儀山」というマンションが建っています。
(ちびっこ広場)
太田道灌は、戦で味方した者には必ず論功行賞をしました。太田道灌状の冒頭で道灌は、寝返って道灌軍に味方し豪族たちへの所領安堵を管領の上杉顕定に懇願しています。祝儀山の伝承は、道灌が民百姓であっても味方したものには、きちんと褒美を取らせたことを伝えています。このことにより道灌は諸人の信頼を増し、道灌軍は急速に勢力を強めたものと思われます。
祝儀山ちびっこ広場=東京都練馬区上石神井4丁目20番8号
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