2021年06月02日

変貌する妙義神社(道灌紀行ニュースNo.18)

 道灌の出陣連歌ゆかりの地
 太田道灌有縁の妙義神社が再建されたと聞いて、久しぶりに行ってみました。
東京都のJR山手線駒込駅前に「染井吉野桜発祥の地・駒込」の碑があります。そこから信号を渡り、妙義坂を下ります。坂の途中で左側に案内の標柱があり、小路を入ると妙義神社があります。参道も社殿も、「あっ」と驚くほど変貌しています。昔は鳥居の横に山吹の花が咲いていましたが今は、ビルの入口のような白い石でできた広い参道です。
妙義神社案内標柱.JPG   
(案内の標柱)   
妙義神社参道.JPG
(妙義神社鳥居)
 豊島区教育委員会の元の説明板によると、当社は、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征のとき、この地に陣営を敷いたと伝えられる豊島区内最古の神社です。社伝によると、1471年(文明3年)5月、古河公方足利成氏が葛西(東京都葛飾区)へ攻め込み、上杉方は鎌倉まで後退しました。6月には太田軍と長尾軍が反撃して古河城を攻略したので、成氏は千葉へ敗走しました。このとき出陣を前にした太田道灌は当社に参詣し、神馬、宝剣を捧げて戦勝を祈願しました。その際、道灌と股肱(ここう)の臣樋口兼信は、次のように出陣連歌を詠みました。
  雲払う此の神垣の風の音  道灌
  草をも木をも吹きしほり行 兼信
 この年道灌は凱旋し、社領として十五貫文の地を当社に寄進しました。つづいて道灌は、1477年(文明9年)の豊島兄弟との戦いの際に、さらに1479年(文明11年)の千葉孝胤との戦いの際にも当社で戦勝を祈願しました。

 新しい社殿はほぼ完成し、武人の信仰にふさわしい凛々しい雰囲気を醸し出しています。そして右側に太田道灌ゆかりの小社が鎮座しています。もろもろの説明板等は、まだ設置されていません。
妙義神社本殿.JPG      
(妙義神社本殿)  
勝宮軍.JPG
(「勝軍宮」の額)    
太田道灌の社.JPG
(太田道灌の社)
当社は、「戦勝(かちいくさ)の宮」として信仰を集め「太田道灌ゆかりの勝守り」を授与しています。今も境内の柵には、多くの願文が結ばれています。

残念ながら、昔あった鎮守の杜と広場は社殿の増築でなくなりました。社殿の周囲はまだ工事の途中ですが、ふと見ると隣接するところにキリスト教の建物があります。東洋の神と西洋の神が相並んで、新時代を迎えることになりました。
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