(目黒川緑道)
この地には、文明年間(1469年〜1486年)に吉良氏の世田谷城の出城がありました。その後、多聞寺ができ毘沙門天がまつられましたが、明治の廃仏毀釈運動で毘沙門天は外来の神なので禁じられました。三宿村の村人は、役人の前で祭神申請書の毘沙門天を線引きで消し、「大物主命(おおものぬしのみこと)」と書いたので書類はパスしました。かくて1885年(明治18年)に三宿村の鎮守として三宿神社が建立され新しい神様がむかえられました。
今はここに、倉稲魂命が祀られ、なぜか依然として毘沙門天もまします。となりには稲荷社もあります。このあたりは都心なので、神様が共同住宅にいても違和感はなくかえって親近感があります。
(三宿神社と毘沙門天碑)
ちなみに毘沙門天とは、仏法守護四天王の一尊で、人に利益をもたらす神です。この神を信じた上杉謙信の旗印は「毘」です。
(三宿神社)
神社の神楽殿の向かいには、1956年(昭和31年)に、太田道灌の江戸築城500年を記念して、地元の有志が建立した江戸城の城石の碑があります。その碑に、武者小路実篤の筆跡で次のように彫られています。
「過去五百年之進歩道灌不知
未来五百年之進歩我等不知
石又沈黙
太田道灌築城五百年
武者小路実篤書 印」
(武者小路実篤書の碑)
ここには、文明年間に太田道灌と親しかった吉良氏の世田谷城の出城であったので、太田道灌とは有縁です。しかしなぜ武者小路がここに登場してこのような至言をしたためたのか、いまのところわかりません。
それにしても、武者小路の至言を、このように境内の片隅に置くことには納得がいきません。神様の仲間入りとまではいかないまでも、もっといい位置に設置して説明板などもほしいものです。