埼玉県越生町では毎年早春に、梅まつりが盛んにおこなわれます。梅林の向こうには、白加賀という梅の花が一面に広がっています。白い梅花一面の堀之内を行き過ぎて越辺川の「道灌橋」をわたるとそこは小杉という地で、太田道真の自得軒跡です。今はそこに建康寺がひっそりとしてあり、「太田道真退隠の地の碑」が建っています。
(越生の白加賀)
(道灌橋)
(建康寺の太田道真退隠の地の碑)
建康寺の説明板に言う。
「(前略)文明18年(1486年)6月道灌は、友人万里集九を伴って、道真のもとを訪れた。万里の詩文集『梅花無尽蔵』には、その折に詠まれた次の七言絶句が収められている。
稀郭公(ほととぎすまれなり)
雖有千声尚合稀(喩え千声ありと雖も尚合うこと稀なり)
況今一度隔枝飛(況や今一度枝を隔てて飛ぶをや)
誰知残夏似初夏(誰か知らん残夏の初夏に似たるを)
細雨山中聴未帰(細雨山中に聴いていまだかえらず)(後略)」
私は、地元の郷土史家の案内で、「太田道真退隠の地の碑」の横を通りすこし進みました。するとそこには、石垣で組んだみごとな井戸が少しも崩れずに残っていました。それは直径約60センチ深さ約160センチの空井戸です。大人が入ると首のあたりまでの深さです。そこは切り立った崖の下であるから、往時は水が滾々と沸いたいたと思われます。
すぐ近くに越辺川があるから、これは灌漑用の井戸ではないことは確かです。この地の小字は陣屋であるので、太田道真がこの井戸の水を飲んでいたことは間違いありません。
(陣屋の空井戸)
現在、事情により、この土地の所有者の許可が得られないため、この井戸へのアクアセス方法が公開されていません。私は、地元の郷土史家の案内で見に行きましたが、気が急いていたためか井戸のそばで、竹の切り株に足を引っかけて、はげしく転倒してしまいました。転んだ時に竹の切り株のわずかのすき間に顔が入り、無事でした。太田道真の加護があったとしか思えません。
私はもう何十回も越生にきていますが、今回初めてこの井戸のことを知りました。これは貴重な文化財です。一刻も早く、この井戸の周辺整備と説明板の設置をして欲しいものです。
道灌橋の下の越辺川の川べりにも、井戸と同じようなしっかりした石垣が積まれていて、意味ありげです。これは初歩的な野面積でもなく、高度な切り石積でもなく、江戸時代の八徳の三吉の積石でもありません。道真が配下に命じて作らせたもののような気がします。
(道灌橋の下、越辺川の石垣)
この辺りは、人工的な破壊が進んでいないので、とくに梅花の頃、まだ雑草が繁茂してないので、散歩をするといたるところに石碑や地形の特徴が目につき、中世の名残りであるような気がしてきます。
2023年03月14日
太田道真・自得軒跡で「井戸見つけた」
posted by 道灌紀行 at 11:41| Comment(0)
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