西武新宿線の上石神井駅より徒歩17分あるいはJR中央線の荻窪、西荻窪からバスで10数分も走ると、東京都杉並区の井草八幡宮の大鳥居の近傍へきます。今は市街地の真っただ中ですが、ほど遠くないところに善福寺池もあるので往時は、この辺りが鄙びた、江戸の水源地であったと推測されます。
赤い大鳥居をくぐるとやや長い参道がつづきます。この参道で5年に一度、祭りの日に流鏑馬(やぶさめ)神事が行われます。参道をぬけると広場があり本殿や神楽殿、文華殿などいろいろな建物と頼朝手植えの松が並んでいます。
井草八幡宮の大鳥居
本殿
今年9月30日の井草八幡宮宵宮の日に、私は、太田道灌顕彰会の佐藤事務局長とこの神社を訪ねました。文華殿に陳列してある「太田道灌の旗鈴」を見るためです。この文華殿は、年に2度、宵宮と本宮の日にだけ開殿して陳列物を公開しています。私は今まで急用やパンデミック(コロナ)で見ることができなかったので、ようやくたどり着けたという感動がありました。
頼朝公手植えの松(二代目)と文華殿(右後方)
文華殿の陳列棚には確かに太田道灌の旗鈴があり、別の棚には太田道灌の馬印「太一」と鎧(よろい)があります。その鈴は、太田道灌が1477年(文明9年)豊島氏の石神井城を攻めるとき、戦勝祈願をして奉納したものと伝えられています。
それは直径約6センチの厚い金属製の鈴で紐がついていました。軍旗の先端に付けて進軍したものだそうです。それは、私が山城を探索するときに、腰に付けていく熊除けの鐘よりやや大きめです。私は佐藤さんと、
「この鈴の音を聞きたいね。私の熊除けの鐘から推測しても、相当良い音が出て遠くまで響くよ」
「いったいどんな金属でできてるのでしょう」
「日本の中世の戦の音を聞きたいね」
「大河ドラマが実現したらNHKはこれを借りてきてドラマをやればいい」
などといろいろ語り合いましたが、鈴はガラスケースに収められいて、写真を撮ることさえも叶いませんでした。
馬印とは、戦陣で大将の馬にかけるシートのようなものです。馬印と鎧は、当社に奉納されたものながら来歴不詳です。
これらの太田道灌有縁の展示物を見たい方は、ご自分の予定表に、井草八幡宮の秋の例祭の日をしっかり記入しておくことが大事です。
2024年10月10日
太田道灌の旗鈴・井草八幡宮
posted by 道灌紀行 at 19:07| Comment(0)
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