2011年09月23日

杉並区の矢倉台・道灌の物見台か。

東京都杉並区で五日市街道の「緑地公園前」という信号標示で北へ曲がると、すぐに善福寺川緑地公園があります。東京メトロ丸の内線南阿佐ヶ谷駅から徒歩10分でも来ることができます。公園内の善福寺川に屋倉橋という橋がかかっているので、その橋をわたってすこし直進すると、右側に小高い地点があります。今は、学校法人の研修センターになっている、その場所が矢倉台(山)といわれるところです。
徳川幕府の未刊の地誌「新編武蔵風土記稿」(1830年)には、「矢倉、四方田園にて高き場所あり、伝に云う、鎌倉時代より陣屋跡ありしを、其の後、太田道灌の持となり家臣某をして守らしめしが、道灌滅亡にいたりて廃したりと、或は云う、成宗(なりむね)が柵跡なりと、此の事まことならんには、彼陣屋櫓のありし処へ成宗移りて籠居せしなるべし、されどその詳なること伝えざればうけがいがたきことなり。此の辺に鎌倉街道の迹ありなど云う」と記されています。
矢倉橋.JPG
(屋倉橋)
屋倉橋.JPG
(橋名)
矢倉とは矢を収納する建造物であるけれども、物見台を兼ねることが多く、やがて見張り台を櫓(やぐら)というようになりました。杉並区成田西の矢倉台と言われているところは、三方を曲がりくねった善福寺川に囲まれ、このあたりでは珍しい小高い丘であるから、物見台をかねた陣屋の場所として最適であります。鎌倉時代には、御家人の中野左衛門尉成宗が砦を構えて鎌倉街道を監視し、周辺を開拓したので、今も成宗公園という地名が残っています。伝承によると、室町時代には、太田道灌が物見台をおいて眼下の街道を見張りました。おそらくこのあたりが、江戸城主としての道灌の統治範囲の境界であったので、砦をおいて監視したのだと、私は推測します。道灌は、江戸へ通ずる全ての街道にそのような物見台を設置して、自己の版図を確保、拡大していったに違いありません。
現在では、杉並区の矢倉台の近くに中央道と首都高速の境目である高井戸ICがあり、料金所となっていることは面白いことです。今も昔も人間の感覚では、このあたりが江戸(首都)と郊外の境目となるのかもしれません。
008.JPG  
(矢倉台)
成宗公園といい屋倉橋といい、歴史を伝える地名が残っていてほっとします。
杉並区教育委員会に訊いてみると、矢倉台が物見台であったことは認識しているけれども、いまだ太田道灌の史跡としては認定していないということでした。
屋倉橋=東京都杉並区成田東善福寺川公園
矢倉台=東京都杉並区成田西4丁目12番地 
この記事へのコメント
杉並区の矢倉台・道灌の物見台か。: 道灌紀行は限りなく
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Posted by jiiqofcgds at 2014年12月11日 10:19
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