2011年12月08日

本郷城址・傑傳寺・道灌伝説の地

東京のJR山手線駒込より、東京メトロ南北線、埼玉高速鉄道と乗り継いで鳩ヶ谷で降ります。鳩ヶ谷駅より川口駅方面へバスで10分あるいは徒歩で20分もいくと新郷農協があります。そこから高速道路沿いに北へすこし歩くと本郷城址すなわち曹洞宗の傑傳寺へきます。この寺域は、もと太田道灌築城の本郷城のあったところと伝えられています。隣接地に「曲輪」という地名もあります。
江戸時代の地誌「新編武蔵風土記稿」の足立郡谷古田領本郷村の項に、傑傳寺と城跡について次のように記されています。「当寺境内は古(いにしえ)太田道灌が築きし塁跡なりと云。少しき高き所にして広さ六千坪許(ばかり)。南の方に表門あり、此処古の追手口なるべし。(中略)思ふに全棟寺の中興開基太田備中守輝資此処に住せしといえば、おそらくはこの人の居跡なるべし、境内の図左に出せり」。図によると、小高い舌状地に土塁で囲まれた建物があります。その図と現在のこの高台の地形から考えると、本郷城はちょっとした砦か領主の館のような所であったのではないかと思われます。この地は上総の千葉氏あるいは古河公方の領域に近いところなので、太田道灌が出城を築いた可能性はあります。
傑伝寺.JPG         
(城址の高台・右奥)
土塁と崖.JPG   
(土塁の遺構と思われる所)
太田輝資は太田資高の子であり、康資の弟になるので、道灌の曾孫ということになります。ここはまた、太田資高が拠った稲付城・靜勝寺(東京都北区)とも近いので、太田氏有縁の地であったことは間違いありません。したがって本郷城は太田輝資の築城であった可能性も高いと思います。輝資は、兄康資とたもとを分かち後北条方についたけれども、小田原の役後に所領を失い、後に旧領谷古田(川口市)に隠棲したということです。
傑伝寺の寺域の土塁がある高台は、まわりが崖になりあるいは金網で囲まれているので、残念ながら詳細がわかりません。
川口市教育委員会にたずねると、本郷城址は道灌伝説の地として認識しており、未だ発掘調査は行っていないということです。
本郷城址・傑傳寺 =埼玉県川口市東本郷1506