2013年06月09日

道灌船繋松・日暮里船繋松の碑・青雲寺

JR山手線西日暮里駅前の道灌山の奥の崖下に、臨済宗の浄居山青雲寺があります。道灌山から道灌山通りにでて迂回すると、奥まったところに青雲禅寺と記された石碑が見えます。境内正面の本堂右脇に「日暮里舟繋松(ふなつなぎまつ)の碑」があります。船繋松とは、舟人が目印とした高台の松すなわち現在の灯台に当たるものです。
この碑は、安永5年から天明5年のあいだに、道灌山すなわち当時の青雲寺境内東北の崖に建てられました。1874年(明治7年)に、道灌山が加賀前田家に売却されたので、碑は現在地に移転されました。
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(江戸名所図会・道灌船繋松・図中右奥の大木) 

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(青雲寺・日暮里船繋松の碑・中央)

その後、1973年(昭和㊽年)道灌山は、西日暮里公園となりました。
「新編武蔵風土記稿」(1830年)に次のように記されています。
「船繋ぎ松・境内東北の崖にあり、古木は枯れて植え継ぎしものとみゆ。往昔、この崖下まで入り海なりし時、船を繋ぎしゆへかく名付くと言い伝ふれど、もとより確かなる拠なし。樹下に船繋松の碑を建て銘文を刻す」。
また、「江戸名所図会」(1836年)には、道灌山の船繋ぎ松の絵が画かれ、「崖に臨み、鬱蒼としてそびえた松」と記されています。この絵の中の、右奥の一番高い木が船繋松です。この船繋松は、大田道灌の砦にちなみ、道灌船繋松とも呼ばれるようになりました。また、この江戸名所図会によると、入江が道灌山の下まで迫っていたことがよくわかります。また、青雲寺は当時、道灌山の麓にあったとも思われます。
青雲寺の境内には、滝沢馬琴の筆塚の碑(1809年)、滝沢馬琴の硯塚の碑、狂歌師安井甘露庵の碑があります。
西日暮里公園=東京都荒川区西日暮里3
青雲寺=東京都荒川区西日暮里3―6