2016年07月20日

越生近況・「太田道真退隠の地」の碑等

埼玉県越生町は太田道真・道灌のふるさとを標榜し、最近様々な取り組みが行われています。JR八高線越生駅前の広場には、ハイキングの町と太田道真・道灌ゆかりの地をアピールするための、巨大なパネルが並んでいます。
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(太田道灌誕生地のパネル)
このパネルをよくよく見ると、題字の先頭に、小さく小さく(伝)の字が記されています。道灌誕生を主張するところは、他に伊勢原、鎌倉があります。
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(太田道灌史跡の案内)
このパネルの右下に、法恩寺の文書を引いて「山吹の里歴史公園」の由来が記されています。「山吹の里」は、関八州に数々あれども、古文書で証明されるところは、越生だけです。

1.「太田道真退隠の地」の碑
1928年(昭和3年)に建立された「太田道真退隠の地」の碑は従来、越生町小杉の山際の畑の片隅に立っていました。このように立派な碑が、なぜこんな妙な所にあったのでしょうか。理由を知らない、多くの探訪者にとって、それはミステリーでありました。今春遂に町当局が、この碑にとって最もふさわしい自得軒跡すなわち建康寺の寺域に、この碑を移設しました。
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(建康寺と「太田道真退隠の地」の碑・建康寺の檀家総代戸口訓男氏撮影)
この碑の碑文は次の通りです。
「太田道真ハ岩槻城主備中守資清ト称シ自得軒ト号ス道灌ノ父ニシテ当代ニ威名アリ其ノ終焉ノ地トシテ保存セラル
      昭和三年二月二十三日 史跡保存指定」(実物の碑文漢字は旧字体)

また建康寺の、リニュウアルされた説明版にいわく、
『建康寺    越生町小杉
関東管領上杉家一族の扇谷上杉家の家宰として、関東にその名を馳せた名将太田道真は、息子の道灌とともに、江戸城、岩槻城、河越城を築いたのち、越生に本拠を移した。ここ大字小杉字陣屋付近が、道真の居館自得軒跡と推定され「太田道真退隠の地」として埼玉県の旧跡に指定されている。
文明18年(1486年)6月、道灌は友人万里集九とともに道真を訪れた。万里の詩文集「梅花無尽蔵」に、その折に詠じた次の七絶が収められている。
      稀郭公(ほととぎす稀なり)
  縦有千声尚会稀(縦へ千声ありと云えども尚会うは稀なり)
  況今一度隔枝飛(況や今一度枝を隔てて飛ぶをや)
  誰知残夏似初夏(誰か知らん残夏初夏に似たるを)
  細雨山中聴未帰(細雨山中に聴きて未だ帰らず)
翌7月道灌は、相模国糟屋(神奈川県伊勢原市)で主君上杉定正に謀殺され、自得軒が父子最後の対面の場となった。道真は道灌の菩提を弔うため越生山建康寺を開いたという。
門前に架かる道灌橋の対岸には、道灌が調馬した馬場があったと伝わる。また堰と導水路の跡が造る水車「才車」の「才」は城塞(城砦)の塞(砦)に由来するとの説もある。
           平成25年3月 越生町教育委員会』
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(建康寺参道と太田道灌大河ドラマの旗・戸口氏撮影)

2.太田道灌の新銅像
2016年1月、越生町の「里の駅おごせ」展示場で、「太田道灌銅像写真展」が開催され好評を得ました。その際、越生町町長室に秘蔵されていた、彫刻家三枝惣太郎氏制作の太田道灌像の原像が披露されました。この像は、弓を持って狩りをする、たいへん躍動的な太田道灌像の傑作です。その像が近々に銅像となって、越生町役場のロビーをかざることになったので、町民と関係者の期待が盛り上がっています。
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(太田道灌像の原像・三枝惣太郎制作) 

3.太田道灌ハイキングコースと道灌団子
2016年7月16日「第17回太田道灌の集い」は、伊勢原市民文化会館で550人が出席して賑やかに開催されました。その際、出席した越生町長新井雄啓氏は「ハイキングのまち宣言!」を行い、観光コースNO.1として「太田道灌ゆかりコース」を紹介しました。
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(山吹の里歴史公園)
それは、越生駅、山吹の里歴史公園、建康寺、山枝庵、龍穏寺をめぐるコースで、最後に名物「道灌団子」を食べることができます。新たに発刊された「越生町ハイキングガイドブック」(地図付き)に、詳しい情報が載っています。