2016年11月01日

前ヶ崎城と太田六郎

千葉県松戸市の長谷山本土寺(ちょうこくさんほんどじ)は、日蓮大聖人の六老僧の一人日朗が地元の豪族平賀氏の屋敷内に開堂した古刹です。この寺はその後、千葉氏とその庶流高城(たかき)氏の庇護をうけて発展しました。またこの寺に伝わった、中世の「下総国小金本土寺過去帳」(千葉県指定有形文化財)は、歴史家にとって貴重な古文書です。
「続群書類従」の「下総国小金本土寺過去帳」の某年11月3日の項に「太田六郎殿 前崎落城打死、同戸張彦次郎殿討死」とあります。この年この日に、前ヶ崎城が落城し、太田六郎と戸張彦次郎が討ち死にしたということです。このときとはいつか、前ヶ崎城で何が起こったのか、太田六郎、戸張彦次郎とはいかなる人物かを調べることにしました。
本土寺山門.JPG
(本土寺の山門)
私はJR山手線西日暮里から地下鉄千代田線で北小金へ行き、北小金駅から約10分歩き、先ず、松戸市の本土寺を見学しました。この寺は今では、あじさい寺として有名です。本土寺の門前通りに黒門屋という漬物店があります。そこで漬物を買い、若おかみに前ヶ崎城址への道を尋ねると、実に要領よく手振り身振りを添えて教えてくれました。おかげで、そこから約20分歩き、迷わずに前ヶ崎城址へ着きました。
またJR常磐線の柏駅からならば、東武バスに15分も乗ると流山運転免許センターへ着きます。免許センターの前の高台が、標高20m、比高13mの前ヶ崎城址です。
前ヶ崎城の築城年と城主については、特定はし難いものの、付近の小字名に「追手橋」とか、「刑部郭」の名称があったことから、室町時代に千葉氏庶流の高城氏家臣・田島刑部少輔がいたのではないかという説があります。(東葛飾郡誌)。
城は、かつては三本の東西の谷津に達する空堀によって、大きく三郭に分かれていました。今日では、土取りと宅地化によって先端部の一郭しか残ってないものの、そこは土塁によって本郭らしい感じを保ち、中世城郭の名残りが見える貴重な史跡となっています。
前ヶ崎城址入り口.JPG
(前ヶ崎城址入り口)
主郭.JPG
(本郭址)
付近に戸張城、小金城、馬橋城等、約20カ所の城址があり、ほとんどが千葉氏庶流の高城氏の城でした。戸張城は、手賀沼の西南端部へ向けて突き出したような舌状台地上に築かれた城でした。戸張城も、築城年代や築城者について詳細は伝わっていません。「東葛飾郡誌」は、相馬系図を引用して相馬師常の三男行常が戸張八郎と称して、戸張城に在城したとも伝えています。

いくつかの太田氏系図には、太田道灌の弟として、太田資忠と太田六郎の名が記されています。また資忠と六郎を道灌の甥としているものもあります。ここでは、二人とも道灌の弟と考えます。
「太田道灌状」第20段に「(文明10年6月)同名図書助、同名六郎自両国奥三保へ差寄候処」とあります。ここに記されている六郎とは、資忠の弟六郎すなわち太田資常と思われます。そして、道灌は相模の奥三保攻略が終ってから、総州攻撃の準備をはじめました。道灌本隊の境根原攻撃に先立ち、文明10年11月3日に、太田六郎は上杉方についていた戸張彦次郎とともに、千葉氏の防衛ラインの一角であった前ヶ崎城への攻撃を開始したと推測されます。しかしそのとき、太田六郎軍は千葉氏方諸城からの猛攻撃に会って敗れ、二人は討ち死にしたものと思われます。前ヶ崎城は本土寺の近傍にあるので「本土寺過去帳」の前ヶ崎城落城に関する記事の信憑性は、極めて高いというべきです。

「太田道灌状」第22段に「(文明10年)十二月十日於下総境根原令合戦得勝利、翌年(文明11年)向臼井城被寄陣候」とあります。太田道灌の本隊は、前ヶ崎城の合戦から約一月後に、数キロ離れた境根原で千葉軍を打ち破り、臼井城へ追って約半年も包囲して落城させたものの、そこでは太田資忠が討ち死にしました。
同段後半に「於臼井城下、同名図書助並中納言以下親類傍輩被官人等数輩致討死候」とあります。この記述の中の「親類」とは、太田六郎を指していると思われます。この戦の後の文書に、太田六郎(資常)が登場しないことを考えると、六郎はやはり文明10年に前ヶ崎城で討ち死にしたと考えられます。道灌は、総州の戦で二人の弟を含む、多くの味方を失うという大きな犠牲を伴って勝利を得ました。

松戸市、柏市、流山市の境あたりは、一見平坦と思えるけれども、歩き回ってみると城山に適するような小山がたくさんあることに驚かされます。千葉氏はその地域の20余カ所に城を築き、上杉方とりわけ太田氏の江戸城に対する防衛ラインとしていました。道灌は、六郎の討ち死により、このラインを突破することがむずかしいと考えて翌月に、それより南側の江戸川に船橋をかけるという奇策で、国府台に攻め込んだのです。けだし、上杉氏・太田道灌33連戦の中で、道灌が最も苦戦をし、最も多くの犠牲をだしたのはやはり、千葉氏との激戦であったというべきです。
本土寺:千葉県松戸市平賀63
前ヶ崎城址公園:千葉県流山市前ヶ崎字奥の台
戸張城址:千葉県柏市戸張字城山台
posted by otadoukan at 15:18| Comment(0) | 前ヶ崎城と太田六郎