1477年(文明9年)の江古田が原の戦いの際、日暮れて道に迷った太田道灌の前に一匹の黒猫が現れて一行を自性院へ案内しました。道灌はそこで一夜を過ごすことができたため戦に勝利したということです。
(自性院門柱の招き猫)
このお手柄猫は猫地蔵となり、毎年節分のとき猫地蔵堂で参詣者を迎えてくれます。会った人の話では、猫の顔は道灌にあやかる江戸の庶民になでられ続けたため磨り減って丸くなっているということです。
自性院から江古田はすぐ近くであるから、江古田が原へ向かった道灌は確かにこのあたりを通った可能性があります。このような伝承ができたということは、道灌が民衆の支持を受けていたため、随所で名もなき人々の支援を受けて苦境を脱したということです。
伝承はともかく私がもっと注目したものは、この寺にあるという私(し)年号(ねんごう)の板碑です。新宿区教育委員会の説明板によると、道灌が駆け抜けた混乱の時代には、室町幕府の力が弱ったため、関東の豪族や寺社は勝手に年号を決めました。この寺の板碑に記された私年号「福徳元年」は「延徳2年=1490年」のことです。この「福徳」という私年号には混乱のなかで現世安穏をひたすら願った民衆の思いが込められています。この板碑は新宿区指定有形民俗文化財です。
自性院=東京都新宿区西落合1-11-23