2026年07月17日

道灌紀行ニュースNO.20                       佐原の大祭 「あっ晴れ太田道灌」 

佐原の大祭夏祭りは今年、7月10日(金)〜11日(日)の3日間、八坂神社祇園祭りとして行われました。
東京の日暮里から京成線の特急で成田まできて乗り換え、JR成田線で田園地帯をごとごと走ると、合計約3時間で佐原へ着きます。駅の入口の暖簾(のれん)をくぐると、伊能忠敬の銅像が迎えてくれます。
太田道灌が、佐原(香取市)に来たことはありません。祭り本部で聞くと、江戸時代に、佐原上仲町が頼んだ、江戸人形町の人形師の得意技が太田道灌だったので、そうなったそうです。
上部に大人形、周囲に豪華な彫刻が彫り付けられた,総檜(ひのき)造りの重厚な山車が佐原囃子(はやし)の音とともに、歴史的な街並み(国選定)重要伝統的建造物群(保存地区)の中を曳き廻されました。この祭りは、無形文化財としてユネスコにも登録されています。 

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上仲町の山車は、町内の電線のないところに来ると、「威徳」の道灌さんが一気に立ち上がり、青空をバックに「あっ晴れ太田道灌」となります。昔は、若い衆が数人で道灌を立ち上げていましたが、今は電気仕掛けですから、あっと言う間に立ち上がったり潜んだりします。

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道灌さんは、近くで見るとなかなかいい男ですが、残念ながら全国どこでも綾井傘をかぶってるので顔に日が当たりません。

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町内の所々で、笛太鼓で佐原囃子を流し、女性たちは、懐から扇子を出して踊ります。町内の乱引きになるとたいへんです。道灌さんは身を潜めて、若い衆は絶えず、特殊な道具で電線を持ち上げなければ、山車は通れません。

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ポーランドから来た女性グループの観光客が、一緒に山車を押していました。
八坂神社の夏祭りには、太田道灌、天うず女命(あまのうずめのみこと)、菅原道真、金時山姥(きんときやまうば)など10台の山車が出ます。諏訪神社の秋まつりには、大楠公、仁徳天皇、神武天皇、桃太郎、源義経、浦島太郎など15台の山車がでます。
山車の曲曳きには「のの字回し」「こばん廻し」「そろばん曳き」などがあり、各町内は見せ場で技術を競います。

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夕暮れが迫ると各山車には,灯りがともりいやがうえにも雰囲気が盛り上がってきます。
ちょうどその頃、私は疲れ果てて、もう帰らねばならなくなりました。来るときは東京から電車で来ましたが、帰りは高速バスで帰りました。翌日11日には東京から佐原まで、臨時列車「あやめ号」が出たそうです。

2018年02月14日

道灌紀行ニュースNO.10 太田道灌イベント2題

1.講談「太田道灌」を聴く会(東京都北区赤羽・静勝寺)
2018年1月26日(金)東京都北区赤羽西の自得山静勝寺の本堂で講談「太田道灌」を聞く会が催されました。これは、江戸東京博物館友の会の「道灌倶楽部」の企画と静勝寺の協力で行われました。
まだ路傍に雪が残り、冷たい空っ風が吹く晴れた日に、一行約50名が赤羽駅に集まりました。最初に太田道灌が社殿を再興したと伝えられる赤羽八幡神社や道観山稲荷社などを見学し、稲付城址すなわち静勝寺の階段53段を上りました。
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(赤羽八幡神社)
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(静勝寺・道灌堂)
この日は、太田道灌の命日にちなむ26日であったので、静勝寺の道灌堂が開扉されていました。一行は、道灌堂の太田道灌像を参拝したあと、本堂に集まりました。最初に静勝寺の高崎住職より、太田道灌と静勝寺のゆかりについて解説がありました。ここは太田道灌の砦址で、道灌没後に道灌寺が建てられ、江戸時代には道灌の子孫の掛川城主太田資宗が境内を整備し、太田家の菩提寺となりました。
そのあと前座の田辺凌天につづき、真打田辺凌鶴の講談「太田道灌」が演ぜられました。これを聞けば太田道灌の一生がわかるという内容の熱演でした。
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     (真打田辺凌鶴)

2.講演会「太田道灌小机城を攻める」(横浜市鶴見区・鶴見川流域センター)
2018年2月12日(月)、横浜市の小机城址近くの鶴見川流域センターで「篠原城と緑を守る会」の企画で、講演会「太田道灌小机城を攻める」が行われました。この日もまた、冷たい風が吹きすさぶ好天の日でした。JR横浜線の小机駅から流域センターへ向かって歩いていると、往時はたしかにこのあたりは低湿地で、小机城の防御線になっていたことが実感できます。
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    (小机城址の空堀)
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   (鶴見川流域センター遠望)
流域センターは、鶴見川縁に立つ立派な公共施設です。この日の講演会には約50名が集まり、3人の講師が太田道灌と小机城を語りました。地元の研究者でなければわからない貴重な調査や面白い伝承が聞けて、貴重な研修でした。
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  (小机城をバックにしている案内書)
文明10年4月11日、太田道灌が小机城を攻めたとき、陣を張った亀の甲山とは正反対の方向にある篠原城を経由して、羽沢の硯松のあたりから一気に奇襲攻撃をかけたという説は、まことに興味深く新鮮なものでした。

道灌紀行ニュースNO.10 太田道灌イベント2題

1.講談「太田道灌」を聴く会(東京都北区赤羽・静勝寺)
2018年1月26日(金)東京都北区赤羽西の自得山静勝寺の本堂で講談「太田道灌」を聞く会が催されました。これは、江戸東京博物館友の会の「道灌倶楽部」の企画と静勝寺の協力で行われました。
まだ路傍に雪が残り、冷たい空っ風が吹く晴れた日に、一行約50名が赤羽駅に集まりました。最初に太田道灌が社殿を再興したと伝えられる赤羽八幡神社や道観山稲荷社などを見学し、稲付城址すなわち静勝寺の階段53段を上りました。
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(赤羽八幡神社)
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(静勝寺・道灌堂)
この日は、太田道灌の命日にちなむ26日であったので、静勝寺の道灌堂が開扉されていました。一行は、道灌堂の太田道灌像を参拝したあと、本堂に集まりました。最初に静勝寺の高崎住職より、太田道灌と静勝寺のゆかりについて解説がありました。ここは太田道灌の砦址で、道灌没後に道灌寺が建てられ、江戸時代には道灌の子孫の掛川城主太田資宗が境内を整備し、太田家の菩提寺となりました。
そのあと前座の田辺凌天につづき、真打田辺凌鶴の講談「太田道灌」が演ぜられました。これを聞けば太田道灌の一生がわかるという内容の熱演でした。
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     (真打田辺凌鶴)

2.講演会「太田道灌小机城を攻める」(横浜市鶴見区・鶴見川流域センター)
2018年2月12日(月)、横浜市の小机城址近くの鶴見川流域センターで「篠原城と緑を守る会」の企画で、講演会「太田道灌小机城を攻める」が行われました。この日もまた、冷たい風が吹きすさぶ好天の日でした。JR横浜線の小机駅から流域センターへ向かって歩いていると、往時はたしかにこのあたりは低湿地で、小机城の防御線になっていたことが実感できます。
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    (小机城址の空堀)
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   (鶴見川流域センター遠望)
流域センターは、鶴見川縁に立つ立派な公共施設です。この日の講演会には約50名が集まり、3人の講師が太田道灌と小机城を語りました。地元の研究者でなければわからない貴重な調査や面白い伝承が聞けて、貴重な研修でした。
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  (小机城をバックにしている案内書)
文明10年4月11日、太田道灌が小机城を攻めたとき、陣を張った亀の甲山とは正反対の方向にある篠原城を経由して、羽沢の硯松のあたりから一気に奇襲攻撃をかけたという説は、まことに興味深く新鮮なものでした。