2024年10月10日

太田道灌の旗鈴・井草八幡宮

 西武新宿線の上石神井駅より徒歩17分あるいはJR中央線の荻窪、西荻窪からバスで10数分も走ると、東京都杉並区の井草八幡宮の大鳥居の近傍へきます。今は市街地の真っただ中ですが、ほど遠くないところに善福寺池もあるので往時は、この辺りが鄙びた、江戸の水源地であったと推測されます。
 赤い大鳥居をくぐるとやや長い参道がつづきます。この参道で5年に一度、祭りの日に流鏑馬(やぶさめ)神事が行われます。参道をぬけると広場があり本殿や神楽殿、文華殿などいろいろな建物と頼朝手植えの松が並んでいます。
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井草八幡宮の大鳥居
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本殿
 今年9月30日の井草八幡宮宵宮の日に、私は、太田道灌顕彰会の佐藤事務局長とこの神社を訪ねました。文華殿に陳列してある「太田道灌の旗鈴」を見るためです。この文華殿は、年に2度、宵宮と本宮の日にだけ開殿して陳列物を公開しています。私は今まで急用やパンデミック(コロナ)で見ることができなかったので、ようやくたどり着けたという感動がありました。
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頼朝公手植えの松(二代目)と文華殿(右後方)
 文華殿の陳列棚には確かに太田道灌の旗鈴があり、別の棚には太田道灌の馬印「太一」と鎧(よろい)があります。その鈴は、太田道灌が1477年(文明9年)豊島氏の石神井城を攻めるとき、戦勝祈願をして奉納したものと伝えられています。
 それは直径約6センチの厚い金属製の鈴で紐がついていました。軍旗の先端に付けて進軍したものだそうです。それは、私が山城を探索するときに、腰に付けていく熊除けの鐘よりやや大きめです。私は佐藤さんと、
「この鈴の音を聞きたいね。私の熊除けの鐘から推測しても、相当良い音が出て遠くまで響くよ」
「いったいどんな金属でできてるのでしょう」
「日本の中世の戦の音を聞きたいね」
「大河ドラマが実現したらNHKはこれを借りてきてドラマをやればいい」
などといろいろ語り合いましたが、鈴はガラスケースに収められいて、写真を撮ることさえも叶いませんでした。
 馬印とは、戦陣で大将の馬にかけるシートのようなものです。馬印と鎧は、当社に奉納されたものながら来歴不詳です。
 これらの太田道灌有縁の展示物を見たい方は、ご自分の予定表に、井草八幡宮の秋の例祭の日をしっかり記入しておくことが大事です。

posted by 道灌紀行 at 19:07| Comment(0) | 太田道灌の旗鈴・井草八幡宮

2023年10月03日

サプライズ 道灌登場(道灌紀行ニュースNo.20 )

本庄まつり
今年もまた11月2日(木)3日(金)、埼玉県の本庄まつりでは、諏訪町(すわちょう)の太田道灌の山車をはじめ10基の山車が、中山道の宿場町跡を曳き廻されます。
本庄市諏訪町では今、祭りの準備で大わらわです。地元の人たちのお話によると、青年が文武両道でたくましく成長することを願い、正直で親切で勇敢な文武両道の名将、太田道灌の山車が曳かれるとのことです。
そういえば、埼玉県越生駅前の太田道灌銅像の台座にも、「文武両道」と彫られています。
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(諏訪町の太田道灌山車)

享徳の乱シンポジウム
2023年(令和5年)10月1日(日)に本庄公民館で、五十子(いかっこ)会によりシンポジウム「関東の大乱・享徳の乱」が開催されました。当日、思いがけなくも会場に、おおくの参加者とともに、太田道灌とやまぶきの女性が登場しました。道灌山車の地元、諏訪町の人たちの好意による最大のサプライズでした。おかげさまでシンポジウムは大いに盛り上がり、地元ケーブルテレビでも放映されました。

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(参加者の皆さん)
参加者は遠く、渋川、秩父、東京からもあつまりました。
 
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(太田道灌、山吹の女性と3人の講師)
その日登場の道灌さんは、りりしい狩り姿で弓をもっていました。山吹の女性は文字通り山吹色の着物姿でありました。
享徳の乱の主戦場の一つ五十子陣城では太田道灌はもちろん長尾景春、古河公方、上杉顕定などの実力者たちが戦いました。五十子陣城跡は今後、増国寺などとともに関東中世の重要史跡として訪れる人もますます多くなることでしょう。

2023年08月23日

越生まつり・道灌の法被を着た男たち

今年7月22日、23日、越生まつりがおこなわれ、町の慈光寺道(中つ道の支道)で、昔ながらの6台の山車(だし)の曳き回しがおこなわれました。
越生町で太田道灌の大河ドラマ実現を推進しているT氏から「越生まつりで道灌の法被(はっぴ)を着た男たちが仲町の山車を曳いてる。しかし道灌の人形はいない」とメールがあったので、急いで越生へ行きました。
まだ夕日が高いころから、あちこちで2台の山車が出っくわし、笛や鉦(かね)、太鼓のお囃子で対抗するのはたいへん面白い見ものでした。越生では、相手の山車のお囃子のリズムに引き込まれた方が、負けなんだそうです。 
    
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(仲町の山車)
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(本町の山車のひょっとこおどり)

仲町の山車は、昭和29年に、東京神田の「だし鉄」と越生町上野の棟梁長谷竹松が共同で制作した、江戸型の山車で唐破風屋根の囃子台、回り舞台を備えています。
仲町の山車の上に道灌はいないものの、綱を引く男たちは確かに道灌の法被を着て、女性たちは道灌の法被を腰に巻いています。

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(仲町の道灌法被をきた男)

私は、何人かの男たちに、道灌法被のいわれを尋ねてみましたが「よくわからない」ということでした。地元の物知り長老に会って尋ねてみると「町内の話し合いでは、当初、山車の上に道灌の人形をのせる予定であったものの、諸般の事情で道灌はのらないことになったので、法被だけ着ています」とのことでありました。

上町の山車には、豊島左衛門の尉経泰がのってます。豊島経泰は、太田道灌が江古田が原で戦った相手豊島泰経とは字の順序がちがいます。

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(新しい太田道灌のうちわ)

新しい、太田道灌図柄のうちわも販売されていました。
そして夕闇が迫ってくるころ、山車は駅前の太田道灌の銅像の前に結集し始めました。その頃にわかに黒雲が現れましたが、文武両道の太田道灌銅像はライトアップされて、面白い雰囲気を醸し出していました。

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(新しい旗にかこまれた、道灌銅像)

私は、いつか仲町の山車に、太田道灌の人形がのることを想像しながら帰途につきました。