2019年10月06日

心敬塚の記念碑、伊勢原市三ノ宮に建立

今年10月5日、6日には、第52回伊勢原観光道灌まつりが開催され、初日には上粕屋の洞昌院で太田道灌の墓前祭が行われました。洞昌院の道灌墓所の歌碑に「雲もなほ さだめある世の しぐれ哉 心敬」とあります。墓前祭終了後に私は太田資暁氏と、伊勢原市三の宮の心敬塚へ向かいました。連歌師心敬は道灌が主催した『武州江戸歌合わせ』の判者でありました。
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(伊勢原観光道灌まつり・甲冑試着コーナー)
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(洞昌院・太田道灌墓所の心敬歌碑)
洞昌院の道灌墓所から西へ向かい、大山道を横切って山王中学校の前を進みます。県道612号線で右折し、すぐ消防署の手前で左折します。大山川(鈴川)を渡りすぐ右折して田舎道をのぼります。道なりに200メートルも進むと丘の上に、真新しい心敬塚の記念碑が立っています。この碑は、最近建立されたばかりのためか、伊勢原市の観光地図にも道の記載がなく、道案内板など全くありません。私たちはここまでくるのに、野菜売りのおばさんなど地元の人に何回も尋ねながらようやくたどり着きました。
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(心敬塚から江ノ島方面を望む)
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(背後の大山山塊)
この丘から南東方面には伊勢原市が俯瞰でき、その向こうには江ノ島が見え、背後に大山がそびえています。それは、ここまでたどり着いた苦労が吹き飛ぶような絶景でした。心敬が、ここに住み着いて生涯を終えた理由の一つがわかったような気がしました。
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(心敬塚の記念碑)
心敬の生涯と太田道灌とのかかわりについては、この塚の説明文に簡にして要を得て記されていますので、その全文を掲載させていただきます。
「連歌中興の祖といわれる心敬は、応永13年(1406)紀伊国に生まれた。幼少のころに出家し、京都東山の十住心院の住持となり、後に権大僧都に至った。正徹(しょうてつ)に和歌を師事し『ささめごと』『老いのくりごと』『心玉集』『心敬僧都百句』『芝草』などの著作を残した。連歌七賢の一人で弟子に宗祇がいる。
応仁の乱を避け、関東へ下向し、太田道真・道灌父子と親交を結んだ。文明3年(1471)夏、大山山麓の浄業寺に身を寄せ、同6年に江戸城で開かれた道灌主催の『武州江戸歌合せ』の判者を務めた。翌7年4月16日に当地石蔵(いしくら)にて没した。享年70歳。
当地では、心敬が『遠海を 緑によする 夏野かな』を読んだとされる。
大山、江ノ島などの景色を愛でながら、都や故郷を偲んだのであろうか。地元では古くからこの丘を心敬塚と呼び、心敬を祀る地として手厚く護持している。
平成31年3月16日
(英文説明、略)
「伊勢原市歴史文化を生かした地域作り協議会」

心敬の墓所は、北東下方約200メートルの浄業寺にあったとの伝承があります。
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2019年08月27日

掛川太田氏と妙法華寺

箱根峠を越えて
東京の新宿から小田急ロマンスカーに乗ると、約1時間で小田原に着きます。小田原駅近くでレンタカーを借りて、国道1号線で箱根の山を登りました。土木遺産の函嶺洞門など、箱根駅伝でなじみ深い地名が次々と出てきます。元箱根を通り、箱根峠から1号線で三島市を目指して山を下ります。ほどなく山中城址へくるのでこの辺で、ナビに妙法華寺を入れます。山裾のやや複雑な田舎道を案内されて、30分くらいで静岡県三島市玉沢の妙法華寺境内に着きました。JR三島駅からは、1時間に1本くらいの妙法華寺行きの定期バスが出ているそうです。
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   (玉澤妙法華寺)
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   (寺の由緒書き)

掛川太田氏の菩提寺
この寺は、日蓮宗の経王山妙法華寺と称し、1284年(弘安7年)に日蓮大聖人の六老僧の一人日昭が鎌倉の海浜玉澤(現材木町)に建立しました。鎌倉の戦乱を避けるため越後村田(長岡市)、伊豆加殿(伊豆市)を経て、1621年(元和7年)に大木沢(現在地)に移転、広大なその地を玉澤と改称しました。
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(玉澤道場)
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(日蓮大聖人像と開目抄の碑)
この寺の由緒書きに次のように記されています。
「寛永二年九月徳川二代将軍秀忠公より約五十万坪の寺域を御朱印地として寄進され、家康公の側室にして紀州大納言頼宣、水戸中納言頼房両公の生母、光圀公の祖母、養珠院お萬の方並びに英勝院お勝の方、及び太田道灌家の五代道顯公等の絶大な資援により大伽藍玉澤道場が竣工したのである。(抜粋)」

玉澤道場からすこし離れた玉澤霊園の奥に、掛川太田家霊廟があり、掛川藩の初代藩主太田資俊(すけとし)、二代藩主資愛(すけよし)、三代藩主資順(すけのぶ)、四代藩主資言(すけとき)、五代藩主資始(すけもと)、六代藩主資功(すけかつ)、七代藩主資美(すけよし)等の墓があります。
妙法華寺の由緒書きに記された「太田道灌公五代の道顯公」とは、英勝院お勝の方の兄太田重正のことであると思われます。重正の墓もまた妙法華寺にあります。

安定する掛川藩
太田道灌五代の子孫太田重正は徳川家康から召し出され、妹のお勝(英勝院)は家康の側室となり、息子の資宗は徳川家に仕え、その子孫資俊は1746年(延享3年)に掛川城主となり掛川藩五万石の祖となりました。掛川藩は、太田家代々の藩主の努力により藩政が安定し、幕閣へ老中、大阪城代、京都所司代などの人材を輩出しました。
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(掛川城)
三島市より東海道線で西へ移動すると静岡県掛川市へ至り、駅近くに掛川城址があり、掛川太田氏の多くの史料と史跡を見学できます。
posted by 道灌紀行 at 08:57| Comment(0) | 太田道灌展(紙上)

掛川太田氏と妙法華寺

箱根峠を越えて
東京の新宿から小田急ロマンスカーに乗ると、約1時間で小田原に着きます。小田原駅近くでレンタカーを借りて、国道1号線で箱根の山を登りました。土木遺産の函嶺洞門など、箱根駅伝でなじみ深い地名が次々と出てきます。元箱根を通り、箱根峠から1号線で三島市を目指して山を下ります。ほどなく山中城址へくるのでこの辺で、ナビに妙法華寺を入れます。山裾のやや複雑な田舎道を案内されて、30分くらいで静岡県三島市玉沢の妙法華寺境内に着きました。JR三島駅からは、1時間に1本くらいの妙法華寺行きの定期バスが出ているそうです。
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   (玉澤妙法華寺)
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   (寺の由緒書き)

掛川太田氏の菩提寺
この寺は、日蓮宗の経王山妙法華寺と称し、1284年(弘安7年)に日蓮大聖人の六老僧の一人日昭が鎌倉の海浜玉澤(現材木町)に建立しました。鎌倉の戦乱を避けるため越後村田(長岡市)、伊豆加殿(伊豆市)を経て、1621年(元和7年)に大木沢(現在地)に移転、広大なその地を玉澤と改称しました。
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(玉澤道場)
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(日蓮大聖人像と開目抄の碑)
この寺の由緒書きに次のように記されています。
「寛永二年九月徳川二代将軍秀忠公より約五十万坪の寺域を御朱印地として寄進され、家康公の側室にして紀州大納言頼宣、水戸中納言頼房両公の生母、光圀公の祖母、養珠院お萬の方並びに英勝院お勝の方、及び太田道灌家の五代道顯公等の絶大な資援により大伽藍玉澤道場が竣工したのである。(抜粋)」

玉澤道場からすこし離れた玉澤霊園の奥に、掛川太田家霊廟があり、掛川藩の初代藩主太田資俊(すけとし)、二代藩主資愛(すけよし)、三代藩主資順(すけのぶ)、四代藩主資言(すけとき)、五代藩主資始(すけもと)、六代藩主資功(すけかつ)、七代藩主資美(すけよし)等の墓があります。
妙法華寺の由緒書きに記された「太田道灌公五代の道顯公」とは、英勝院お勝の方の兄太田重正のことであると思われます。重正の墓もまた妙法華寺にあります。

安定する掛川藩
太田道灌五代の子孫太田重正は徳川家康から召し出され、妹のお勝(英勝院)は家康の側室となり、息子の資宗は徳川家に仕え、その子孫資俊は1746年(延享3年)に掛川城主となり掛川藩五万石の祖となりました。掛川藩は、太田家代々の藩主の努力により藩政が安定し、幕閣へ老中、大阪城代、京都所司代などの人材を輩出しました。
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(掛川城)
三島市より東海道線で西へ移動すると静岡県掛川市へ至り、駅近くに掛川城址があり、掛川太田氏の多くの史料と史跡を見学できます。
posted by 道灌紀行 at 08:57| Comment(0) | 太田道灌展(紙上)