2019年11月03日

道灌紀行ニュースNO.15 あらかわと太田道灌(企画展)

2019年11月2日(土)東京都荒川区の荒川ふるさと文化館で、荒川区と荒川区教育委員会主催の企画展「あらかわと太田道灌」がオープンしました。
JR山手線の日暮里駅から常磐線で二つ目が南千住(みなみせんじゅ)です。駅の西口から出ると、俳聖松尾芭蕉の矢立初めの銅像が迎えてくれます。1689年(元禄2年)芭蕉はここから奥の細道の旅に出発しました。
         行はるや鳥啼うおの目ハ泪  
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(南千住駅前の松尾芭蕉像)
駅ロータリーから、コミュニティバスさくらの左回りに乗ると二つ目が、荒川ふるさと文化館です。
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(荒川ふるさと文化館の入り口)
企画展「あらかわと太田道灌」の内容は、
「序.道灌の肖像、
1.道灌の時代、
2.あらかわに息づく道灌」
の三つのエリアに分かれています。
荒川区には、道灌山、本行寺、山吹の里、石浜神社、道灌の歌友木戸孝範、万里集九有縁の地などの道灌史跡、伝承地とともに、回天一枝の道灌像、山吹の女の像など見どころがたくさんあります。したがって、この地特有の展示物や写真が多数展示されていて見ごたえがあります。私は、地元の大行寺の道灌の鰐口を、はじめて拝見し、長年の願いが叶い大いに喜びました。
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(大行寺の鰐口・図録より)

入場料が100円で、立派な企画展図録が500円以下という破格のサービスも特筆すべきです。講演会も行われます。
この企画展「あらかわと太田道灌」は12月1日(日)まで開催されていますので、ご来館をお勧めします。
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(企画展と道灌まつりのチラシ

追記
11月9日(土)には、JR日暮里駅前で昨年に続き「日暮里道灌まつり」が開かれ、道灌ゆかりの地域の店舗による物販とPR、ステージイベントなどがにぎやかに行われました。
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(伊勢原市の手作り甲冑隊と武蔵村山市の武士団村山党の共同パフォーマンス)

追記2
荒川ふるさと文化館から、町屋駅に移動すると、山吹伝説の地が2か所あります。
町屋駅近くの臨済宗の寺泊船軒の境内に「山吹の塚」があり、近くの落慶碑の碑文にここは「三河島山吹の里」だと記されています。
山吹の塚.JPG
(泊船軒の山吹の塚)
落慶碑.JPG
(落慶碑)

また、町屋駅から5分も歩くと荒川6丁目に、花の木児童遊園があり説明板に、山吹の女はここで太田道灌に山吹の花を渡した、と記されています。
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(花ノ木児童遊園)
花ノ木児童遊園.JPG
(児童遊園の説明板)
【道灌紀行ニュースNO.15 あらかわと太田道灌(企画展)の最新記事】

2019年10月06日

心敬塚の記念碑、伊勢原市三ノ宮に建立

今年10月5日、6日には、第52回伊勢原観光道灌まつりが開催され、初日には上粕屋の洞昌院で太田道灌の墓前祭が行われました。洞昌院の道灌墓所の歌碑に「雲もなほ さだめある世の しぐれ哉 心敬」とあります。墓前祭終了後に私は太田資暁氏と、伊勢原市三の宮の心敬塚へ向かいました。連歌師心敬は道灌が主催した『武州江戸歌合わせ』の判者でありました。
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(伊勢原観光道灌まつり・甲冑試着コーナー)
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(洞昌院・太田道灌墓所の心敬歌碑)
洞昌院の道灌墓所から西へ向かい、大山道を横切って山王中学校の前を進みます。県道612号線で右折し、すぐ消防署の手前で左折します。大山川(鈴川)を渡りすぐ右折して田舎道をのぼります。道なりに200メートルも進むと丘の上に、真新しい心敬塚の記念碑が立っています。この碑は、最近建立されたばかりのためか、伊勢原市の観光地図にも道の記載がなく、道案内板など全くありません。私たちはここまでくるのに、野菜売りのおばさんなど地元の人に何回も尋ねながらようやくたどり着きました。
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(心敬塚から江ノ島方面を望む)
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(背後の大山山塊)
この丘から南東方面には伊勢原市が俯瞰でき、その向こうには江ノ島が見え、背後に大山がそびえています。それは、ここまでたどり着いた苦労が吹き飛ぶような絶景でした。心敬が、ここに住み着いて生涯を終えた理由の一つがわかったような気がしました。
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(心敬塚の記念碑)
心敬の生涯と太田道灌とのかかわりについては、この塚の説明文に簡にして要を得て記されていますので、その全文を掲載させていただきます。
「連歌中興の祖といわれる心敬は、応永13年(1406)紀伊国に生まれた。幼少のころに出家し、京都東山の十住心院の住持となり、後に権大僧都に至った。正徹(しょうてつ)に和歌を師事し『ささめごと』『老いのくりごと』『心玉集』『心敬僧都百句』『芝草』などの著作を残した。連歌七賢の一人で弟子に宗祇がいる。
応仁の乱を避け、関東へ下向し、太田道真・道灌父子と親交を結んだ。文明3年(1471)夏、大山山麓の浄業寺に身を寄せ、同6年に江戸城で開かれた道灌主催の『武州江戸歌合せ』の判者を務めた。翌7年4月16日に当地石蔵(いしくら)にて没した。享年70歳。
当地では、心敬が『遠海を 緑によする 夏野かな』を読んだとされる。
大山、江ノ島などの景色を愛でながら、都や故郷を偲んだのであろうか。地元では古くからこの丘を心敬塚と呼び、心敬を祀る地として手厚く護持している。
平成31年3月16日
(英文説明、略)
「伊勢原市歴史文化を生かした地域作り協議会」

心敬の墓所は、北東下方約200メートルの浄業寺にあったとの伝承があります。

心敬塚の記念碑、伊勢原市三ノ宮に建立

今年10月5日、6日には、第52回伊勢原観光道灌まつりが開催され、初日には上粕屋の洞昌院で太田道灌の墓前祭が行われました。洞昌院の道灌墓所の歌碑に「雲もなほ さだめある世の しぐれ哉 心敬」とあります。墓前祭終了後に私は太田資暁氏と、伊勢原市三の宮の心敬塚へ向かいました。連歌師心敬は道灌が主催した『武州江戸歌合わせ』の判者でありました。
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(伊勢原観光道灌まつり・甲冑試着コーナー)
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(洞昌院・太田道灌墓所の心敬歌碑)
洞昌院の道灌墓所から西へ向かい、大山道を横切って山王中学校の前を進みます。県道612号線で右折し、すぐ消防署の手前で左折します。大山川(鈴川)を渡りすぐ右折して田舎道をのぼります。道なりに200メートルも進むと丘の上に、真新しい心敬塚の記念碑が立っています。この碑は、最近建立されたばかりのためか、伊勢原市の観光地図にも道の記載がなく、道案内板など全くありません。私たちはここまでくるのに、野菜売りのおばさんなど地元の人に何回も尋ねながらようやくたどり着きました。
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(心敬塚から江ノ島方面を望む)
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(背後の大山山塊)
この丘から南東方面には伊勢原市が俯瞰でき、その向こうには江ノ島が見え、背後に大山がそびえています。それは、ここまでたどり着いた苦労が吹き飛ぶような絶景でした。心敬が、ここに住み着いて生涯を終えた理由の一つがわかったような気がしました。
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(心敬塚の記念碑)
心敬の生涯と太田道灌とのかかわりについては、この塚の説明文に簡にして要を得て記されていますので、その全文を掲載させていただきます。
「連歌中興の祖といわれる心敬は、応永13年(1406)紀伊国に生まれた。幼少のころに出家し、京都東山の十住心院の住持となり、後に権大僧都に至った。正徹(しょうてつ)に和歌を師事し『ささめごと』『老いのくりごと』『心玉集』『心敬僧都百句』『芝草』などの著作を残した。連歌七賢の一人で弟子に宗祇がいる。
応仁の乱を避け、関東へ下向し、太田道真・道灌父子と親交を結んだ。文明3年(1471)夏、大山山麓の浄業寺に身を寄せ、同6年に江戸城で開かれた道灌主催の『武州江戸歌合せ』の判者を務めた。翌7年4月16日に当地石蔵(いしくら)にて没した。享年70歳。
当地では、心敬が『遠海を 緑によする 夏野かな』を読んだとされる。
大山、江ノ島などの景色を愛でながら、都や故郷を偲んだのであろうか。地元では古くからこの丘を心敬塚と呼び、心敬を祀る地として手厚く護持している。
平成31年3月16日
(英文説明、略)
「伊勢原市歴史文化を生かした地域作り協議会」

心敬の墓所は、北東下方約200メートルの浄業寺にあったとの伝承があります。